サイレント・プア

火曜日の夜10時、翌日朝から仕事ですが、NHKのドラマ「サイレント・プア」を観ています。

 

深田恭子さん演じる主人公は、コミュニティ・ソーシャル・ワーカー(CSW)として働いています。社会福祉協議会の職員として、地域の中の孤独な人たちを支える仕事ことです。サイレント・プア ―声なき貧困、あるいは見えない貧しさ。貧困とは、経済的なことだけでなく、社会的な孤立、絶望の中で生きている人たちの苦しみです。それを救うのは、社会保険や、公的扶助などのお金ではなくて、人による援助だということを感じます。

 

今、地域福祉の時代です。ソーシャルワークという言葉もしばしば聞くようになってきました。

地域福祉や、ソーシャルワークという言葉が、日本でいつ、どんなふうに使われるようになったのか、調べてみました。

 

近代国家としての体制を整えた明治時代以降、「社会の制度」としての救済制度(社会福祉制度)は1874年の「恤救制度」(国が慈善的に、米代を支給するもの)が始まりでした。その後、1929年、世界大恐慌、東北地方の凶作の影響もあって、「救護法」が制定されました。恤救規則とは異なり、国が生活困窮者を救済する義務があることを認めたものでした。戦前にも、1933年には、児童虐待防止法、少年救護法、1937年には母子保護法などが制定されました。このように社会福祉に関する法律は整備されたものの、行政の整備は十分に進まず、経済的生活困窮者への援助は実質的には「方面委員」(現在の民生委員)が、無給の奉仕者の立場で行っていました。

 

戦前の社会福祉に大きな影響を与えたのが、井上友一の「風化行政」でした。

当時イギリス、フランスの継続的、経済的救済行政は、人民相互の情宜、隣保相扶の精神をだめにし、自助努力を否定するものとなるから、それをしないですむよう、社会的気風の善導を中心とする風化行政をすすめるべきである、という考え方です。二宮尊徳の教えである、勤勉、倹約、献身、忍耐、和合を活用する報徳運動により風化行政を具現化するものでした。

つまり、一生懸命働き、身分相応に暮らし、貯蓄に励むことが善であり、不慮の事故に備えるための貯蓄をしていない人間は逸脱した人間と見られます。公的救済サービスを受けることは、勤倹貯蓄を励行してこなかった脱落者であり、恥ずかしいことだという観念を民衆にもたせることにつながしました。この風化行政思想の結果、障害を有している人への偏見、差別、社会福祉サービスの水準の低劣化がつくり出されました。この考え方は、いまだに日本人の中に溶け込んでいます。

 

戦後の日本は社会福祉制度面でも新たな展開をはじめました。

憲法13条は、国民の幸福追求権を規定し、25条は、第1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定しています。さらに第2項では、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない。」としています。

これを受け、生活保護法により、最低生活の保障が図られています。1961年には国民皆保険、国民皆年金が確立しました。

 

戦後日本の社会福祉制度は、1951年に制定された社会福祉事業法を基底とする社会福祉六法によって展開されました。国が制度として、社会福祉サービスの必要性があると認定した人のみが利用する「措置制度」を軸とし、財源は国と地方自治体が負担し、国が社会福祉法人に委託するという方式でした。この方式が大幅に変わったのは、1990年の社会福祉関係八法改正と、2000年、社会福祉事業法の社会福祉法へ改称・改正です。

 

今、社会福祉の中心である「地域福祉」の考え方が、法律上位置づけられたのは1990年の社会福祉関係八法改正であり、より明確に法定化されたのが2000年の社会福祉法への改正によってです。

 

社会の変化に伴って、保育や、介護、社会関係を持てない孤立した人の問題、生活技術を有していない人の問題等は、新しい貧困と呼ばれ、その解決は国レベルというより、地方自治体レベルでのサービス提供を必要としてきました。低所得者の問題として片づけられることではなく、すべての国民のための社会福祉問題です。金銭的な給付で生活問題が解決できるということではなく、直接的な対人福祉サービスが地方自治体で整備され、利用できるようにする必要があります。ドラマ「サイレント・プア」で描かれているCSWの仕事です。

 

1971年、「社会福祉施設緊急整備5か年計画」が策定されて、特別養護老人ホーム、保育所、障がい者施設などの整備が急速に推進されました。1970年に約3万の施設数だったもんが、1980年には4万、2005年には9万5000に増大しました。

 

日本の社会福祉において、在宅福祉サービスという考え方が実態化してきたのは1970年ごろです。現在、社会福祉施設の役割や、限界、機能の位置づけなどが問われ、入所型施設よりも、通所型施設の整備に関心と要求が高まっています。

社会福祉は、福祉サービス利用者の人間性の尊重、個人の尊厳を踏まえた権利と保護、地域での自立生活が可能になるように支援するものです。人間としての自立とは、労働的、経済的自立、身体的、健康的自立、生活技術的、家政管理的自立、社会的、人間関係的自立、そして精神的・文化的自立と考えることができます。

精神的・文化的自立とは、人間の心の働き、内面を、言語や、身体活動、音楽、絵画、演劇など様々な方法、手段で表現する能力と機会が保障されているか、というとです。  参考文献 大橋謙策「社会福祉入門」(2012 放送大学)

 

こうして調べてみると、戦前の日本人の考え方感じ方(たとえば「福祉」のお世話になることは、恥ずかしいこと)などが、どこか潜在的に未だ残っているようでもあるし、しかし、1900年ごろから社会福祉の考え方が大きく様変わりしていることもわかりました。

 

ドラマ「サイレント・プア」第5回では、長年自分の部屋にひきこもっていた青年が、コミュニティ・ソーシャル・ワーカーの主人公の語りかけによって、絵を描き、社会に復帰しました。人間が生活するということは、経済的な自立さえあればよいということではなく、衣食住とおなじように、芸術や、文化が必要であり、表現することが大切なことです。

 

ドラマの主人公であるソーシャルワーカーは、私たちの地域でもこれからますます重要な仕事を担っていきます。同時に、コミュニティのあり方について、ひと任せにしないで考えなければならない時代です。八王子市は4月から「中核都市」となりました。私たちは、制度をよく理解し、柔軟に考え、充分活用しなければならないと思います。